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「タートルアイランド~『亀の島』の不思議な人々」

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「タートル・アイランド~『亀の島』の不思議な人々」vol.3
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*第3回は、アリゾナ州のホピ族です。

ホピランドの風景。 *↑ホピランドの風景。撮影 Masanori Obayashi 2008

【ホピ族(アリゾナ州)】text by:越川威夫(Takeo Koshikawa)

ホピ族は、アリゾナ州北東部にある、約6千平方キロメートルの居留地に長年居住して来た。砂漠地帯にある3つのメサ(台地)に12の村を持ち、その隔絶された地形ゆえ独特な伝統文化及び宗教が、過去数千年に渡って守られてきた。メサの上はまるで「天空の世界」で、彼らの独特の宇宙観が容易に想像される、非常に不思議な場所だ。

昔の女性は、映画「スターウォーズ」のレイア姫で有名になった蝶型の髪型をしており、先祖はメキシコのマヤ族とも言われ、ナバホ族からは数百年前までアナサジと呼ばれていた。ホピ族は、25部族あるプエブロ民族(人口約3.5 万人)の最大部族(人口約1万人)で、伝統文化に根ざした素晴らしいアーティスト達が生まれているが、その文化の根幹 をなす宗教的世界観としての「ホピ族の予言」には特筆すべきものがある。「ホピ族の予言」には、実は色々な種類があるのだが、私は特にメッセンジャーである、トマス・バンヤッケ長老とその映画『ホピの予言』についてお話ししたい。映画の宮田雪監督自身の解説をまとめると、以下の内容である。

マーサウ(偉大なる精霊)から、地球上全ての生命のための聖地としてホピランドを保護するようにホピ族はお告げを受けた。予言の石盤にはユニバーサル・プラン(宇宙計画)としての第4世界の始まりも記されている。ホピの村に居る、キクモングイ達(精神的指導者)が1948年、広島、長崎の原爆投下のシンボルを予言の石板上に発見し、将来の核戦争による世界滅亡を防ぐために、トマス長老らをメッセンジャーとして世に送った。現在、聖地のフォーコーナーズ地帯(ユタ・アリゾナ・ニューメキシコ・コロラド州境の交差地帯)は、ウラン採掘はもとより核兵器、原発などの現代産業社会の国家的犠牲地区となっている。トマス長老などホピの伝統派は、ホピのシンプルな生き方が地球を救う唯一の道であるとして、世界の平和と浄化のために祈りを捧げている。
(1986年/16ミリ/カラー作品/75分;ランド&ライフ事務局
詳しくはLand & Lifeホームページ参照、http://www.hoshimeguri.com/landandlife/

1978年N.Y.藤井日達上人に予言の砂絵を見せるトマス・バンヤッケ長老。*↑1978年、N.Y.藤井日達上人に予言の砂絵を見せるトマス・バンヤッケ長老。
撮影 Kiyoshi Miyata

実は、私は1978年にロンゲスト・ウォーク(*デニス・バンクスやインディアンリーダーの提唱で行われた、サンフランシスコからワシントンD.C.までの5カ月にわたる大陸横断行進。大地に祈り、インディアンの公民権獲得を訴え、11の反インディアン法が廃案となった)参加のために渡米したのは、宮田雪監督の映画班の一員としてであった。トマスさんは、ロスアンジェルスに到着した翌日に平和集会で出会った、何と最初のアメリカ人である。ピーター、ポール&マリー等の有名人が多く参加した2万人の集会場、ハリウッドボールの正面玄関に、何とトマスさんは姪御さんと共に、予言の砂絵を掲げて立っていたのだ。それは、まさに運命的出会いとしか言いようがないものだった。

その後、ワシントンDC、そしてニューヨークと再会したが、圧巻はサンフランシスコの北での藤井日達上人との特別会談だった。宮田監督は、何とその会議のために車でアリゾナのホピランドまで、昼夜を問わず1200キロを車で飛ばし、トマスさんを迎えに行ったのだ。というのも、当初ロンゲスト・ウォークは暴力を否定しておらず、ネオナチの挑発で一触即発の状況であった為だ。そこで、どうしても非暴力を提唱するホピの力が必要となり、非暴力運動の藤井日達上人がロンゲスト・ウォークへの協力をホピ族に要請する為の会談であった。宮田監督は、それが縁で『ホピの予言』の映画制作を決断し、日本語版が完成したのが1986年、私が担当した英語版が完成したのが1987年であった。サンフラシスコのアメリカン・インディアン映画祭でドキュメンタリー大賞を受賞後、上映ツアーとして、全米各地をトマスさんに同行し、大変有意義な時を過ごすことが出来た。

1978年、N.Y. 藤井上人とトマス・バンヤッケ。*↑1978年、N.Y. 藤井上人とトマス・バンヤッケ。撮影 Kiyoshi Miyata

トマスさんは、ホピの教えを守り、非暴力を信じ、第2次世界大戦中も徴兵拒否を貫き通し、7年間も刑務所に入れられた、鉄の意志の持ち主である。しかしながら、とても優しく温かいお爺さんの面もあり、一緒に居るといつも安心感があった。実際、上映ツアー中、あまりリラックスし過ぎて、3回も飛行機に乗り遅れてしまった。一度など、大きな空港の端から端まで全速力で宮田監督と3人で走った事があったが、何と一番早かったのは昔ランナーで鍛えていた、当時70歳近くのトマスさんだった。また、前回のイロコイ族でもお話ししたが、1988年4月に欧州の平和会議にも私はトマスさんに同行したのだが、欧州各国がホピ族のパスポートを受け入れた事実に驚嘆、日本政府もいつしか受け入れてくれる事を願ったものだった。

帰米後、トマスさんと共にサンフランシスコの日本総領事館を訪ねた際、トマスさんが鹿革製のホピのパスポートを担当者に見せたところ、担当者がうっかり「聖なる羽根」を触ってしまい、トマスさんが非常に怒ってしまったことがあった。後日、故野田卯一代議士の尽力で、トマスさんはイロコイの人々と共に、無事ホピのパスポートで日本に行くことができたのだが、彼の強靭な意志と揺らぐ事ない自信にはいつも驚くばかりであった。その後、イロコイ族は、数百のパスポートを発券しているとの話を聞いたので、トマスさんにパスポート製作について尋ねた。なんとパスポートは彼女の姪御さんの手作りとの事で、当時まだ6つしか出来ていないとの話に仰天した。ホームメイドのパスポートであったとは!自宅でパスポートを作ってしまうなんて、ホピの人々もまた不思議な人々である。

1988年、サンフランシスコ。訪日前にミーティングするデニス・バンクスとトマス・バンヤッケ。*↑1988年、サンフランシスコ。訪日前にミーティングするデニス・バンクスとトマス・バンヤッケ。撮影 Marina Racine

オール・マイ・リレーションズ(全ての活けとして生きるものに捧ぐ)

越川 威夫(Takeo Koshikawa)
カリフォルニア州・サンラファエル在住。
映画制作者/ナワ・カミッグ・インスティチュート(デニス・バンクスらのNPO)アドバイザー/ピアザトレーディング株式会社役員。
ネイティヴ・アメリカンと長年にわたり交流を持ち、その文化に造詣が深い。
デニス・バンクスの自伝『死ぬには良い日だ』(2010年;三五館発行)共訳者。
ドキュメンタリー映画『死ぬには良い日だ』、『ナワカミッグ・インディアンドラムは鳴り止まず』他プロデューサー。


※第4回はナバホ族(アリゾナ、ニューメキシコ州)です。ご期待下さい!

(本コラムは楽天市場レイトレイシー原宿表参道店メルマガ会員向けに2011年10月06日配信されたものです)

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